こんなことがありました。

3月11日(金)東日本大震災追悼行事

2022年3月18日 15時01分

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【校長が子どもたちに話したこと】

2011年(平成23年)3月11日は、東日本団震災が起きた日です。亡くなった方・今も行方不明の方は18,425人もいました。ここ相馬市でも、458人もの方がなくなりました。

でも、世界に目を向けると、1967〜2016年の50年間で、約8,000件の大規模な自然災害が発生し、亡くなった人の数は1約280万人です。福島県の全人口が、約180万人ですから、それよりも100万人も多いのです。とんでもない数字です。なくなっていい命なんて一つもないのに、こんなにもいるのです。つまり、世界中どこを探しても災害が起きない場所なんてないのです。

それは、地球も生きていて活動しているからなのです。地球は、毎日、時速1,700kmなんてものすごい速さで回転しているし、温暖化なんて問題も起きるし、災害も起きます。でも、地球が死んだ星なら、人間は一人も生きてはいけません。

だから、私たちは自分の命を守るため、大切な人の命を守るため、この3月11日を命について考える日として、いつまでも大切にしていかなければなりません。人間は忘れて助かることもありますが、この3月11日のことは絶対に忘れてはいけないのです。

6年生でさえ、まだ1歳。ほとんどがまだ生まれてもいませんでした。それでも、この日を大切にし、忘れないためにも、東日本大震災について自分言葉で話ができ子どもになってください。

【児童の意見文①】

 東日本大震災から、今年で十一年が経ちました。震災当時、私はまだ一才で、そのときの記憶はありませんが、とてつもなく恐ろしい出来事だったことは知っています。十一年前の今日、いつもおだやかな松川浦が、あれくるう波となり、ここ相馬をおそい、多の人々の命が一瞬にしてうばわれてしまいました。震災のえいきょうを受けたままの場所、地震のゆれでくずれた場所、さらには、津波で流れされてしまった建物もあります。あれから十一年。今では震災に関する施設や建物が建てられています。これらのものには、震災のことを決して忘れてしまわないように、との思いがこめられているのだと思います。あのとき相馬をおそった松川浦は、今では海産物が獲れるほどにきれいになりました。また、海の近くには、浜の駅が建ち、夏になると、海はたくさんの人であふれかえっています。

 十一年の時を経て、相馬は更なる復興へ向かっていっています。だからこそ、あのときの震災で、想像を絶する恐怖と不安を体験した人達がいたということを絶対に忘れてはいけないと私は思います。実際に災害が起きたときにどう動くか、日頃から考えるべきだと思うし、地震が起きたときや迫ってくる危険から命を守るためにどうすればいいのか考えておくことが大切なのではないでしょうか。震災を経験していないみなさんにも、震災当時のことを知ってもらい、そこから復興をとげた相馬のことをもっと知って、好きになってもらいたいと思います。また、私自身も、相馬の人々の思いを受けついで、相馬の文化や名産を伝えていきたいです。そして松川浦とともに相馬で生きていきたいです。

【児童の意見文②】

 十一年前のこの日、相馬は大きな地震と津波によってたくさんの被害を受けました。その津波によって僕は、おじいちゃんとおばあちゃんを亡くしました。僕はまだ一歳だったので、二人との思い出はほとんどありません。そんな大変な災害が相馬を襲いました。
 あれから十一年が経ち、僕は十二歳になりました。この十一年間相馬で過ごし、今年相馬の復旧・復興を学び、分かったことがあります。それは、相馬の復旧・復興のために力を合わせ、協力している方々がたくさんいるということです。お父さんとお母さんは、僕をここまで大事に育ててくれました。地域の方は、僕たちが安全に登校したり、安心して暮らせる町にしたりと、僕たちを支えてくれました。
 これから、震災を知らない人達が増えてきます。僕たちはこの震災を、絶対に忘れてはいけないと思います。この震災がなければ、これから出会う人達がいたかもしれません。僕たちは、命を奪われてしまった人達の分まで、精一杯生きていかなければなりません。僕たちを支えてくれた方々のように、これからは僕たちが支える側になれるように、頑張っていきたいです。